こんにちは、しーどらです。
前回からの続きです~
銀座を訪れたのは目的が2つありました。
1つは
幼いころから「お姉ちゃん」と慕って育った遠縁の女性が、所属している絵画教室の個展に水彩画を出品するというので、それを見に。
場所は京橋のギャラリーでした。
訪れたビルは6階建てでしたが、建物の一部分が1階から6階まで全てギャラリーとして使われていました。ギャラリー自体はとても小さな空間で、こじんまり。
お姉ちゃんが師事している絵画教室の先生には大勢の生徒さんがいるようで、狭い場所とはいえ、建物全部が門下生の個展でした。
趣味の世界、裾野は広いんですね。
もう1つの目的は日比谷にある
鹿児島県のアンテナショップに行くことでした。(遊楽館という名前だったかな)
先日新聞に掲載された「帖佐人形」の記事を読んでからというもの、頭のどこかにその人形のことがありました。
帖佐というのは鹿児島の地名で、母はそこで育ちました。
帖佐人形は江戸後期にうまれたものの、戦争で一度は廃れてしまった郷土の人形です。
島津のお殿様が朝鮮出兵の際に陶工を連れて帰ったとか、京都の高僧が伏見人形を元に広めたなど、諸説があるようです。
一度廃れているので、祖母の家に飾られていたという物でもありません。
🌱
私は父親が転勤族でしたので、ひとところにずっと住んだ経験がなく、自分を根なし草のように感じています。
「地元」を持たない私にとって、祖父、祖母、先祖が代々暮らしていたとわかっている南九州の地に心のふるさとを求めているのかもしれません。
そんなわけで、母の故郷である鹿児島の地で、ここ何十年かの間に復活した郷土の人形、それも干支の人形があるという事を新聞紙記事を元にネット検索で知ると、是非とも購入したくなりました。
(還暦の記念にという気持ちもありました)
鹿児島のアンテナショップは西銀座デパートの道をはさんで反対側、日比谷シャンテ側の片隅のビルの中にひっそりとあります。
1階では焼酎、さつま揚げ(鹿児島の人はつけ揚げと言いますね)、黒砂糖、かるかん、ラーメン、たんかん等が売られていました。
目指すは2階の工芸品のフロアーです。
ドアを開けて入ると、薩摩切子や器…そしてすぐに
帖佐人形のコーナーを見つけました!(干支って書いてあるよ、ワクワク)
あれっ。寅とネズミしかない…。
お店の方に
「今年の干支の辰は?」と尋ねると
「たった今、最後の1つが売れてしまって…」
えー、なんですと!わざわざ神奈川くんだりから銀座にやって来たというのにですかぁ。
ニコニコしながら、今お店を出ていかれた老夫婦が購入されたとの事でした。
毎年そんなに多くは入ってこない商品なのでした。一足違い、がっかりです(;_;)
「垂水焼なら、辰ありますよ!」
と言われましたが、同じ鹿児島でも垂水かぁ…。行ったことないしなぁ。
「あっお雛様なら帖佐人形ありますよ!」とお店の方が手招きしてます。
一番奥にあるじゃないですか、帖佐人形のお雛様🎎
私の心はもう、お雛様でOK。
干支の人形は12年に一度ですが、お雛様なら毎年飾れるしね。一気にご機嫌になる私でした。(おいおい辰の人形はどうしました?)
ご機嫌な私は階下で、知覧茶、高菜のおつけもの、甘夏の砂糖漬けもお土産に購入しました😄
帰宅後、早速雛人形を飾りました。我が家へようこそ♪
洗練さからは遠い粗削りな郷土人形(褒め言葉です!)が私にぴったりかも?
息子しかいない我が家には、これまでお雛様はありませんした。
これから、毎年3月には飾ることにしましょう。
今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)
おまけ~
おまけその2~
「よくこそ お出であり給はせよ」(ようこそおいでくださいませ)が、 →ようこそ おぢゃりたまはせい →ゆこそ おぢゃったもせい →ゆくさ おぢゃったもんせ ⬅️京都から離れれば離れる程方言に中世の日本語が残っているそうです…その昔、祖母がおどけて使っていた記憶があります☺️