あさお日記

常日頃感じていること、好きなものや出来事を心に浮かぶままに綴っていきたいです(メインブログ)

寝台特急列車での旅

こんにちは、しーどらです。


一昨日祖父母宅への帰省の日記を書いた事で、その旅路を思い出しました。書き留めておきます。

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小学生の頃、夏休みは九州の祖父母の家を訪れるのが恒例でした。

急ぎの用事では飛行機を利用しましたが、夏休みなど時間が有り余っている時の帰省では、寝台車を利用していました。
母が列車の旅が好きだったので。

今はなくなってしまった「はやぶさ」という寝台特急列車でした。
東京発西鹿児島行き。(今は西鹿児島ではなく、鹿児島中央駅というのかな?)
いわゆるブルートレインです🚆

今のように切符をネット予約出来なかった時代に、国鉄の駅の窓口(それも、主要駅だったように記憶しています)にひと月程前に早起きをして母と一緒に予約をしに行ったことを覚えています。

父はその時代の御多分に洩れず猛烈wサラリーマンでしたので、
長い休みは取れず、帰省は母と妹と3人でした。

はやぶさ」は夕方に東京駅を出発して、あくる日のお昼過ぎに鹿児島に到着するのでした。
気になって、ネットで調べて見ると
当時の時刻表までわかりました。

東京       16:45発
名古屋   21:40
大阪        0:12
広島        4:45
博多        9:14
西鹿児島14:19

となっていました。
随分とのんびりしていますよね。
出発から到着まで、21時間です。
飛行機なら普通にヨーロッパに到着しちゃう時間です。

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列車がガタンゴトンと音をたてて走ります。
新幹線のような速さがないので、駅を通過する時はホームの人達の表情がよく見えました。

夕方に出発、夕陽を追いかけるように西へ、西へ向かいます。
夕飯を食堂車で食べていたのか、東京駅でお弁当を購入したのか、売り子さんからお弁当を購入していたのか…。あまり昔の事なので、忘れてしまいました。

食事よりも覚えているのが、アルミ缶に入ったみかんジュースの美味しさや冷凍みかん、ビニール製の入れ物に入った温かい日本茶です。

給水機が珍しく、何度も飲料水を汲みに(備え付けの紙コップがありました)連結部分に行ったことも…。


旅行前に本屋さんで買った本を読んだり、外を眺めたり、妹とお菓子の取り合いでケンカもしていたかなぁ。

夕飯を食べた後でしょうか、
乗務員さんがやって来て椅子をベッドに変えてくれます。その時は通路に立って見ていましたが、椅子の背もたれをバタンと倒してベッドに、真っ白なシーツをセットして、枕をのっけて出来上がり!
その手際のよかったこと。背の高い乗務員さんが格好よく見えました。

クリーニングしたてのシーツはツルツルしていて気持ちの良いものでした。


枕が変わると眠れない私は、夜中に何度も目を覚ましました。

今も鮮明に覚えているのが、明け方の広島駅です。
ゆっくり走る列車の中からは
ひろしま」と書いてある文字を読む事ができました。
まだ夜明け前で、ホームには灯りがこうこうとついていました。
始発前の時間だったのでしょう、人の姿はありませんでした。


ほぼ丸1日列車で過ごすので、隣のコンパートメントにいる人達と仲良くなったこともありました。

一回女子大学生のお姉さんと言葉を交わすようになり、とても可愛がってもらったことがありました。

長い旅の中で、お姉さんも退屈凌ぎに?小学生と遊んでくれたのでしょう。
そのお姉さんが自分で持っていた真っ赤なマニュキュアで私達姉妹の足にペディキュアをしてくれたのが、凄く嬉しかった!
一気に自分までお姉さんになれた気がしたのものです。

テレビない、スマホもない、本は読み飽きた…。
小学生の私は一体何を考えていたんだろう。

お昼をかなり過ぎて、西鹿児島駅に到着です。長いながーい旅でした。

列車の中は空調がよく効いて涼しかったので、ドアが開いた瞬間の熱風が物凄く暑く感じられました。

東京駅とは全く違う雰囲気
周りの人達の鹿児島の言葉

さぁーこれからおばあちゃんちで夏休みだ!とワクワクがスタートしました。


寝台車同様に、今日は少しのんびり長い文章になってしまいました。


おつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)