あさお日記

常日頃感じていること、好きなものや出来事を心に浮かぶままに綴っていきたいです(メインブログ)

年の瀬に思う

こんにちは、しーどらです。
年の瀬ですね。


今年の大河ドラマは「どうする家康」でしたが、最後までご覧になった方は多くはないかもしれませんね。
ドラマも終わり、どうするの「ど」の字もはるか彼方へ行ってしまいました。

 

そもそも松潤と家康の肖像画が結びつかなかったし、
幼少期の人形遊びをする家康を40歳を迎える大人が演じるのを見て痛たた…と思った人も多いはず。

家康の正妻、築山殿の描き方も今までにはないものでした。
今までのドラマでは家康より年上の築山殿と家康との間には愛情を感じられるような描写はなかったし、嫡男信康と結託して、家康を裏切るというストーリー仕立てが多かったように思います。(史実もそのようです)

今回は最後まで愛らしい有村架純さんが、家康に向かって「戦いの無い世の中を作れるのはあなただけです」と語る、まるで世界平和を願うような築山殿と彼女を最後まで思いやる家康像でした。

中弛みする大河を見ている途中で、これは家康の史実を元にした演劇を見てるんだ!ほとんどフィクション!と気持ちを切り替えてからはドラマを楽しめるようになりました。
特に妊婦でありながら淀君を熱演される北川景子さんの気迫は今までにないものを感じました。母は強しです。


先日、浜松を訪れた際に二俣城跡という所まで、足を伸ばしました。(運転好きな夫にはいつも感謝です)
浜松市内からは車で40分程のところにあります。
Google案内では目的地のそばに着いてからが分かりにくい、ヘアピンカーブを上った先にありました。

浜松城からはほぼ1本道でした。

🏯


二俣城ですが、天竜川を見下ろせる小高い丘の上にありました。
城は一夜城です。
一夜城というのは一夜で作ったのではなく、敵の攻撃を防ぐための砦のような山城、との説明文がありました。

現在残っているのは石垣のみです。

 

 

徳川軍と武田軍がここで激戦を繰り広げたんだ…

家康嫡男の信康は父親の命でここで切腹したんだ…

と思いはつきません。

信康は母である築山殿とともに家康を裏切って武田家と内通していたという罪で、切腹させられました。

 

はるか下にゆったりと蛇行する天竜川の流れは美しく
まさに強者どもが夢の跡という言葉が相応しい場所でした。

一方で、
家康は我が子を鎮魂するためにお寺を建立していました。

二俣城から歩いてもそう遠くない場所にあります。

清瀧寺という名前でしたが、私達の他に訪れる人もなし、ご住職の姿も見えず、静かな佇まいでした。

信康廟は鍵のかかった金属性の門の向こうにあったので、直接拝むことは出来ず、門の外から頭を下げました。

平和な世の中に生まれていれば、争いに巻き込まれることもなく、良家の坊っちゃんとして暮らせたものを…そう思う地元の方々も多いのか、「信康の会」というものが存在しており、信康公に扮した武者姿の男性がお供を連れて練り歩く、お祭りのようなものもあるようでした。(ポスターが貼ってありました)

 

今年もあと残すところ2日になりました。
毎日の生活は分断されることなく続いているのに、もう3つ寝ると新しい年の始まりですね。

新しい年が皆さんにとってより良い年になりますように!

来年もブログの世界でお会いできるのを楽しみにしています!

駿河湾手前で見た富士


今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)