あさお日記

常日頃感じていること、好きなものや出来事を心に浮かぶままに綴っていきたいです(メインブログ)

旧交を温める、心が温まる

こんにちは、しーどらです。
昨日は古い友人に会いに吉祥寺に行ってきました。

友人とは18歳からの付き合い。長いですねぇ…。


長いとはいえ、30歳を過ぎてからはお互いの生活が忙しく、昨年の同窓会までは5~6年に1度くらいしか会っていませんでした。

昨日も1年ぶりの再会です。

 

頻繁に会うことはなくてもグループラインで、年がら年中話してきたので、まるで昨日会ったかのように話せます。

 

駅で待ち合わせた後、井の頭公園の中にあるタイ料理店へ。

ガパオライスセットを美味しくたべたはずですが、話に夢中であんまり味を覚えてないなぁ😅
お店の中は満席で、外にも行列ができていました。

 

食事の後、彼女が切り盛りする小さなお店にもお邪魔して、彼女の顧客の方々も交えてよもやま話。
あっという間に4時間を過ごしました。

 

お店をおいとました後、一人でゆっくりと井の頭公園を散策しました。

紅葉が美しかったので、人が多いように感じました。アジア系の外国人観光客はここにも。

 

12月2日    井の頭公園

 

 

カメラをかかえた方々が上を見上げては紅葉の美しさを思い思いに撮影されているのも見かけました。

 


友人と喋りすぎたので喉が渇き、駅でペットボトルを購入して電車に乗り込みました。

ラッシュ前のほんの束の間、空いている電車の席に座って、さっきまで話していた内容を思い出しながらペットボトルの温かいほうじ茶を飲み、ふぅーっとため息をつきました。

西日のさす電車の中は、制服姿の高校生や赤ちゃん連れのお母さんがのんびりと家路につく、穏やかな空間でした。

 

 

今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)

 

母の遠い記憶~小さなfamily history

こんにちは、しーどらです。

 

勤労感謝の日、23日は実家に帰っておりました。

母が少しずつ断捨離を進めており
今回は母がお姑さん(私には父方の祖母)から貰い受けた着物の整理を一緒に行いました。
(祖母が残したものはかなり個性的な着物なので、母は一度も袖を通さず、しつけ糸が残ったまま40年間箪笥に眠っていたみたいです。私にも似合うとは思えないなぁ…😅)

着物を1枚1枚広げてはたたみ、広げてはたたみしているうちにあっという間に2時間が過ぎました。

顔を真正面から見るのではなく、着物をたたみながらというのが良かったのか、母が今まで一度も口にしたことの無かった話を聞くことになりました。


🌱

何度かブログにも書いていますが、母は鹿児島の出身です。
正確に言うと、育った場所です。

祖父母も鹿児島の人で、明治30年代に生まれている筈です。
祖父は地主の息子、祖母は商家の娘で若い頃は比較的裕福な生活を送っていたようです。
祖父は学校を卒業後、県庁勤めの公務員になりました。
祖母のことは何人かの候補からの中から写真を選んで結婚したと聞いています。
ある時、志願したのか、転勤だったのか定かではありませんが、赴任先が植民地の朝鮮(今の韓国)になりました。
全羅南道の道庁に勤めていたそうです。
戦争前は豊かな暮らしを送ることが出来たらしく、女中さんが何人かいて家事をやってくれていたらしいです。

母はそんな中、年の離れた末っ子として朝鮮で生まれました。

ずっと年上の叔母達は日傘をさして、女中さんつきの通学、女学校へも送り迎えをしてもらっていたとかなり昔に聞いたことがあります。

植民地でしたので、完全に日本の社会です。九州ではない外地で育った母の話し言葉は私には難しい鹿児島弁ではなく、標準語です。まあ、東京に出てきて60年というのもありますね。
(叔母達は大きくなってからの引っ越しでしたので、亡くなるまで鹿児島の独特なイントネーションで話していました。ついの住みかも鹿児島です)

この辺までの話は子供の頃から何度か聞かされました。

 

 

 

私が10年位前にK-popに溺れていた頃w
「お母さん、ねぇ韓国行ってみない?生まれたに場所もう一回行ってみたいと思わない?」
と何度か誘った事があったのですが、うーん私はいいわ、といつもつれない返事でした。

今となってはもうあんまり興味もないのかなぁと思っていました。
結局韓国には行かないまま、いつしか私のk-popへの熱も冷めました。

何を発端にしたのかもわからないのですが、今回母が朝鮮から日本に引き揚げて来る時の話になりました。

初めて聞くことばかりでした。

光州が祖父の最後の勤務地。
終戦は8月でしたが、母達が日本に戻ってきたのは10月だったそうです。

私が、
藤原ていさんの「流れる星は生きている」と、同じじゃない!大変だったんでしょう?」と聞くと
母達が住んでいた場所はそんなこともなく、辛い思いもせずに淡々と荷物をまとめて引っ越しのような帰国だったそうです。これはあくまでも小学生目線の話。
祖父母は危機迫るものを感じていたのではないかと思います。

母曰く

光州から釜山までは無蓋の列車で移動した。
停まる度に荷物を奪われて、釜山に着く頃には家財道具も洋服も全て無くなってしまった(この為、母は小さい頃の写真がありません)

釜山から博多の港に向かうのに、
政府が船を出してくれる筈もなく、
何家族かがお金を出しあって、人を雇い、ポンポン船を出してもらった。

途中台風に合い、一気に博多に辿りつくことが出来ずに対馬に立ち寄った。

民宿に空きはなく、台風が過ぎ去るまで、民家に2泊させて頂いた。
(食事も作って下さったたようです。
対馬の方々には本当に感謝してると言ってました)

対馬を出て博多に向かう途中、低い橋の下をくぐる事があって、橋の高さと船の先端がスレスレで通り抜けることが出来るのかとみなドキドキし、無事通ることが出来た後はバンザーイバンザーイと叫んだ。

 

その後、どんな経緯があったのかわからないがお金だけを持ち逃げされ、船の操縦士が逃げてしまった。

船頭を失った船が、海を漂っているところを、運良く日本の船が見つけてくれて、博多の港まで引っ張ってくれたので、無事日本に戻ってくることが出来た。

他にも台風の中同じような船がいたらしく、難破船もあったようで目の前を何名ものご遺体が流れて行くのを見たのを忘れられない。

 

終戦の年、母は小学2年生でした。

🌊

「おじいちゃん、おばぁちゃん大変だったね、子供大勢連れて…」

「あら、お婆ちゃんだけよ。お爺ちゃんはお役所で残務整理して、後から帰って来たんだからw」

お婆ちゃん!!!
あんなに華奢で小さかったお婆ちゃん(体重40キロありませんでした)、偉かった!
お婆ちゃんが諦めずに頑張ってくれたおかげで私はここにいるよぉ。

お爺ちゃん、戦争に負けたのに家族と離れて残務整理してたんかーい、と突っ込みたくなりましたが、それはおいておきます。


ほうほうの体で博多港に到着した後、すぐに汽車には乗れず、海の見える高台にあるお寺に何泊かしたそうです。
お寺の庭から浜辺が見えたらしいのですが、アメリカの進駐軍ジープで往き来している姿を目の当たりにして、何をされるわけでもないのに、ただ怖かったという気持ちを今でも覚えているそうです。

対馬で民家に泊めて頂いたり、博多のお寺に泊めて頂いたり、祖母はどうやってその算段をしたのでしょうか。心細かったのではなかったか。
私には想像すらできません。

 


博多からは超満員の汽車で鹿児島に辿り着いたとの事です。

日本に戻ると祖父に公務員の仕事はなく、祖父母は生まれて初めて、農作業をすることになったそうです。(家屋敷、田畑があっただけ、ましとも言えるでしょう)

貨幣価値も変わり、折角貯めた紙幣はただの紙切れに。
祖父母、父母の世代は多かれ少なかれみな戦後の苦労をしていると想像します。

 

今になって話してくれたのは、母の中で、何かが吹っ切れたのでしょうか。

 

敗戦から80年が経ちます。
母が語ってくれなければ、私は母方の家族の小さな歴史を一生知ることは無かったでしょう。

明るかった叔母達、お酒に強くて揃って料理上手でした。
夏休みに帰省した際、東京へ戻る母と私達姉妹を見送りに来る叔母達は、西鹿児島の駅でいつも涙目でした。
「今生のお別れでもないのに」
とあの頃の私は思っていましたが、今ならわかるような気がします。


「お母さん、折角だから本書いたらどうかしら!ボケ防止にもなるし」

「やだわぁ。面倒くさい😄」


話を聞き終わる頃には着物の片付けも終わりました。

 

今日は長くなりました。ブログに書き留めておくことで、私も忘れないでおこうと思います。

 


おつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)

秋が深まる前に冬がやって来た…

こんにちは、しーどらです。

 

今年は秋の期間が短かったように思いませんか。

10月は半ばになっても30度を超える日があったりして、いい加減暑さにうんざりしていました。

それが、ハロウィーンが過ぎて11月の声を聞くとあら不思議。秋をすっとばして一気に寒くなってきたではありませんか。

小さい秋どこいった!
これでは誰かさんが見つけることもできません。

慌てて衣替えをし、セーターを引っ張り出して、布団も冬仕様にしました。

私は暑くて寝苦しい夜が続く夏よりも、湯湯婆を入れて布団の中でぬくぬくする冬の方が好きなんだなぁ。。。

というわけで?今月の写真です。

 

 

近所を散歩していたら、家が取り壊されて空き地になった場所に柿の木がポツンと残っていました。

数え切れない程の柿の実はみな、鳥のご馳走になるのかなぁと思いながら、前を通りすぎました。

🍁

マクロレンズの師匠のnorikoさん(id:non704)がとても素敵に雫を撮影されていらしたので、私も!と雫の撮影に挑戦してみたのですが、これが難しいのです。改めてnorikoさんに弟子入りし直さなくては、です😅

 

秋咲きのバラ

 

こちらも庭のバラ

 

雨上がりのバラの葉っぱ🌿

今月の雫の修行はここまで😆

 

 

オキザリスの蕾、これから咲くんだというエネルギーを感じます

 

自転車カバーの上にちょこんととまったバッタ🦗

マクロレンズを外して撮影するとこんなにちっちゃい。

この後ピョーンと飛んで行きました。

 

 

朝晩の寒さが10度に満たないところをみると、バッタや他の生き物達にも厳しい季節の到来ですね。

 

 

 

今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)

 

 

身体の調子を整える

こんにちは、しーどらです。


この年齢になると、身体のどこかが何となく不調というのはよくあること。
絶好調ではないことを受け入れながら年を重ねていくんだろうなぁと日々感じています。

例えば老眼
例えば五十肩
例えば夜中に目が覚める(もっと眠っていたいのに…)

例えば、例えば…。言い出したらキリがありません。

本当の病は病院の先生にお任せするとして、ちょっとした不調や未病を自分自身でコントロールすることが日々の生活を快適にしてくれるように思います。

・コーヒーはデカフェ

私の場合、コーヒーのカフェインがどうも調子を狂わせるようです。
まず、熟睡できなくなります。
妹などは寝しなにブラックコーヒーを飲んでもぐっすりと眠れるらしいのですが、私はダメなんです。
コーヒーのカフェインを摂取してもぐっすり眠れるのはせいぜいお昼の13時頃まで。それ以降に飲むと夜中から明け方までお目目ぱっちり😳

眠れないと布団の中で焦ります。(寝なきゃ、寝なきゃ…)
それが、翌日の不調に繋がります。

 

会食などの最後のコーヒーなど、本当に美味しくてケーキ等と一緒に飲みたいものですが、最近は紅茶を選んでいます。
紅茶や緑茶だって相当なカフェインが含まれているのに、不思議ですね。
紅茶を飲みすぎて眠れなくなったことはないし、そもそも紅茶にはコーヒー程の中毒性がないので、そんなに何杯も飲むものでもなさそうです。

香りが大好きなのに、夜の熟睡を選びたい私にはコーヒーは贅沢なものになってしまいました。
飲む時はデカフェです。


・毎日続けている、ストレッチ

望月勇さんという方のヨガの本を図書館で手にしたのは5年程前の事でした。
素敵なお姉さんが身体にフィットしたヨガウエアを身にまとってポーズをとるヨガ本はよくみかけますが、
望月さんの本は全く違います。

図書館で手にした本は、イラストでの説明でした。
それでも何となく動きはわかりましたが、詳しくやってみたくなったのでDVDつきの本を購入しました。

内容はかなり地味です。
小柄で早口な望月先生が淡々とポーズを取っては休む、その繰り返しです。動きは基本的なヨガのポーズです。
緊張と弛緩を繰り返す事によって、段々とリラックスしていきます。
どちらかというと気持ちのよい弛緩を味わうために、ヨガのポーズを取っているようにも思われます。

良さに気づくまでには時間がかかる方もいらっしゃるかも。

フルでやろうとすると1時間以上かかるので滅多にできませんが、3 分も要しない簡単な導入部分(ヨガというよりストレッチ?)が紹介されており、私はこちらを毎日やっています。
この簡単な動きを続けて何年かたったある日、不調が解消されていることに気づくのでした。

腰の弱い夫にも勧めたところ、ぎっくり腰の予防に効果があるかもしれない、と寝起きにやるのが毎日の習慣になりました。

ここまで望月先生のヨガは気にいっているものの、先生の本業である気功は?なんです。
お住まいのロンドンから気を飛ばして日本の患者の手当てをする…😳
気は宇宙で繋がっているかららしいのですが、私には全く見えません(あ、気ですもんね、見えないか!)

 

コツを掴んで効果が出るまで気長に待てる人にはお勧めします。

 

・身体を冷やさない

三首(首、手首、足首)を冷やさない。
私は特に足首に気をつけています。

以前のブログでサンダルをはかなくなった、と書いたことがあるのですが、もう何年も真夏でもスニーカー、一年中スニーカー、フラットシューズで過ごしています。
今日などは職場でブーツを履いていましたよ(建物が寒いんですー⛄️)

以前は冷えからきていたのか、すぐにお腹を下していましたが、足首を冷やさないようになってからはお腹を壊すことは殆んどなくなりました。

首周りを冷やして風邪をひくこともあるので、真夏でもエアコンが効き過ぎると予想される外出先にはスカーフやカーディガンを持ち歩きます。

こんな小さな習慣の積み重ねで、最近はコロナ以外、風邪らしい風邪もひいていません。

 

 

ゆっくりお風呂に入る、歌を歌ってみる、散歩や軽いランニング、筋トレがお好きな方もいらっしゃるでしょう…毎日を快適に過ごすには人それぞれの習慣がありそうですね。

 

※ご参考まで

 


今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)

 

 

帰りたくなる曲♪

 

こんにちは、しーどらです。

 

耳にすると家に帰りたくなる曲があります。
チャイコフスキーの胡桃割り人形の中の「花のワルツ」です。

この曲を聞くと家にいても家に帰りたくなる?


www.youtube.com


🌺

「花のワルツ」は小学生の頃の下校時に学校中に流れていた曲なのです。
当日放送委員だった私は週に2日程だったか放送室で下校放送の担当をしていました。
先生が放送室にいた記憶は全く無いので、小学6年生だけで放送していたのでしょう。

ブンチャッチャ、ブンチャッチャ、
ワルツの音楽が始まり主旋律が流れ始めるのに合わせて
「げこーじこくになりました。こーてーやきょうしつにのこっているひとは、はやくかえりましょう、そしてまたあしたげんきよくとうこうしましょう、さよーなら」とゆっくりとした声でアナウンスするのでした。

傾いた夕日が南向きの放送室に射し込み、小学生ながら毎度ノスタルジックな気持ちに…なるはずもなく!
さっさと放送を終わらせては重い放送室の扉をバタンと閉めて鍵をかけて、その鍵を職員室に戻しては、げんきよく階段を下りて走るように下校したのを覚えています。

放送委員だったのは、一学期だったのか?半年だったか?

 

AC



5,6年生が携わった委員会活動というものがありました。
その2年間の間にはいくつもの「お仕事」いや役割がありました。
 
・放送委員

・体育委員(リレーの選手になるような子がやるイメージw)

・保健委員(具合の悪くなった子を保健室に連れていく、授業を途中で抜け出すのが好きでした!)

・園芸委員(花壇の管理)
・音楽委員
・新聞委員
・美化委員 等々。

思い出されるのはこんなところ、他にも まだあったのかもしれませんが、覚えていません。

全員がどこかの委員会に所属して、クラスや学年を通り越して委員会活動をするのは、小学校では今もまだ続いているのでしょうか?

🏫

花のワルツを毎日毎日耳にしながら下校していたせいか、今でもこの曲を聞くと家に帰りたくなるのです。
その「家」とは現在住んでいる我が家ではなく、小学生の頃の住まいがあった懐かしい場所です。

今では、見知らぬ誰かが家を建てて住まわれています。


最後に訪れたのは30年近く前の事だったか…。


因みに夫の下校時の音楽はドヴォルザークの「新世界より」家路だったそうです。
まさに、GOING HOME、下校時にぴったりですね。

その時々、小学校の先生方が何気なく選ばれた曲なんでしょうけれど、小さい頃に無意識に刷り込まれたものというものは思いの外、心に残っているようです。

 

 

 

 

 


今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)

 

ブックオフの取り寄せサービスを使ってみる📚️

こんにちは、しーどらです。
先日、ブックオフの店頭取り寄せサービスを利用してみました。
ブックオフにはよく行きますがこのサービス、私は初めて利用したんですよ。


📚️

少し前になりますが、はなさん(id:hana-lifelog)のブログで、ホリエモンこと堀江貴文さんの著書「ゼロ」が紹介されていました。

ホリエモンさんにはあまり良いイメージがなく、本屋さんで目にしても手に取ることは無かったし、これからもその著書を読むことは無いだろうと思っていたのでした。

しかし、いつも本を読んではその感想を丁寧な言葉でアップされているはなさんがお勧めされるのなら、ちょっと読んでみようかしらと思った訳です。

 

本屋さんではすぐに見つかりました。10年以上前に出版されたにも関わらず、ビジネスコーナーに新刊本と一緒に平然と並んでいました。

 

手に取ると、読みやすそう。
2時間もあれば読めそうです。

 

私は本を購入する時、文章を実際に読んでみて、自分に合うかどうか確かめたい派です。

どんなに人気があっても、本屋さん大賞を受賞しても、文体が何だかなぁ…と思うと読み進めることができません。

ゼロの文章はどんどん読めそうでした。

 

裏返すと1400円とのこと。

うーん、ホリエモンの本に1400円かぁ。
(失礼にも程がありますね🙇)

他にも欲しい本が山のようにある私は一旦本を棚に戻しました。 

折角だから買う?

図書館で借りる?

とりあえず、一回ブックオフをのぞこうと思い日を改めました。

🍁

週が明けて、ブックオフです。
ビジネス書の棚にも、ハードカバーが集められている棚にも「ゼロ」はありませんでした。

しょうがないなぁ、時間が経っても読みたいと思ったらもう一度本屋さんに行けばいいや…と思って店を出ようとしたところ、取り寄せサービスの端末が目に入りました。

これは、使ってみない手はない!とばかりに端末の操作を始めました。

著書の名前を入れて検索をかけると、他店にありましたよ堀江貴文「ゼロ」
お値段は220円✨
そのまま必要事項の入力を済ませて、アウトプットした紙を店員さんに渡しました。
5日後に同じ店舗での受け取りです。


5日後に訪れると、すぐに店員さんが本を出して来てくれました。
読みたかった本を廉価で手に入れる事ができました。


このサービスが便利だなぁと思ったので、念のために
「ブログに載せてもいいですか?」
と店員さんに伺うと
「どんどん拡散して下さい😆」と
喜んでくれました。
私のブログじゃ、拡散は無理ですけどね(*´∀`)♪

 

 

 

 

ブックオフの取り寄せサービスは私の本選びの選択肢を一つ増やしてくれました。

 

「ゼロ」の感想ですが今回は、はなさんのブログにお任せします♪

何かを始めようか迷っている時に背中を押してくれる本とだけお伝えします。

(読んで良かったです。ホリエモンさんのイメージも大分変わりました)

 

 

追記

※アマゾンでは「ゼロ」の新刊本はソフトカバーで1000円、中古品でも送料込みで341円でした

( ´-ω-)y

 

私のように、本屋さんを見てまわること自体が大好きな人間はブックオフの取り寄せサービスをのんびり待つのもよし、忙しい方はアマゾンのほうが時間とお金を有効に使えそうです。

ブックオフの取り寄せサービスも店舗によって取り扱いの有無があるようなので、ご利用の際はご確認をお願いします。

 

 

今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)

 

ピロリ菌撲滅運動💦

こんにちは、しーどらです。
先月胃カメラを飲みました(T0T)

AC

 

夏前に受けた血液検査のオプションにピロリ菌の抗体検査がついていたので軽い気持ちでオプションをつけました。

結果は陽性でした。
( ̄▽ ̄;)ガーン

ピロリ、ピロリ、ピロリ…。
(マックのポテトを揚げてる訳ではありませんよ😆)

検査結果には要精密検査とありました。
夏前にはこの検査結果を手にしたんですけれど暑さを言い訳に病院に足が向きませんでした。

だって、胃カメラ嫌なんだもの。
今、胃なんか全然痛くないんだもの。

しかしです、ピロリ菌に感染していると胃癌になる可能性が高いとの情報を得まして、これはしょうがない、検査を受けて退治せねば、と腹をくくりました。

まずは病院の予約から。
とりあえず、近所でも評判の良い、胃腸科専門の病院(内科も併設)に電話をしました。
受付の方に話をすると、ちょっと待ってて下さねとすぐに先生に代わってくださいました(←混んでいる病院なのにありがたかった!)

先生が検査では胃カメラを飲む必要があること、その後本当にピロリ菌が活動中ならば薬を服用する等、懇切丁寧にご説明くださった訳です。
その場で検査の日程も決まりました。
(過去に感染したのでも抗体検査は陽性と出ると伺いました)


さて、当日。小雨が降っていました。私の心情のようです。

病院の扉を開けると、おじいさん、おばあさんで待合室はぎっしり埋まっていました。
皆さんお元気そうなんですが…。

実家の母もそうですが、時間に余裕のある高齢者は待つのも苦ではない様子、健康診断を受けている方も多いようでした。

予約時間から一時間たってやっと名前を呼ばれました。

診察室で先生の説明を伺った後に検査室前で待機です。

かなりベテランの看護師さんが「しーどらさーん」と
呼びにきてくれました。

緊張して検査室に入る私。

看護師さん@洗面台
「私が合図をするからそれにあわせてうがいをするんですよ。ちゃんとしないと辛いのは自分だからね!」

シロップが入ったプラスチック製の小さな入れ物が4つ用意されていました。

看護師さん
「はい、一つ目取って~。口に含んで~。ガラガラガラ…」
歌うように音頭を取ってくれる看護師さんにあわせてガラガラとうがいをする私。
シロップもとい、麻酔薬はにがーい。

十数回ガラガラしたでしょうか。
一旦吐き出して次のカップへ。

麻酔薬は少しずつ強くなっていくようでした。

4つ目のカップでうがいをする頃には何となく舌が痺れて、うがいがしづらくなり、少し飲み込んでしまいました。

うがいが終わると看護師さんは
「はいはーい、ベッドに寝っ転って、頭はこちらですよ!」
と歌うように言いました。

辛く、嫌な検査でしたが明るく楽しい口調のこの看護師さんに随分と助けられました。

 

胃カメラ検査の実況は割愛させて頂きます🙇

 


検査が終わると再び診察室に呼ばれて、カメラの画像を見ながら先生の説明を伺いました。

先生
「胃は綺麗ですねぇ。過去に逆流性食道炎やストレス性の胃炎にもかかってるようですが、自然治癒してます」


(やったー!胃がきれいってことはピロリは死んでる?胃炎、自然治癒って偉いな、わたし)

先生
「ただし、萎縮している部分、ここですね(一部をペンで示しながら)これがピロリ菌が活動中なのかどうかはカメラではわからないので、呼気検査をします」


(えーっ。それなら最初から呼気検査だけでよくない???)

その後今度は少し若めの看護師さん説明のもと、呼気検査を受けました。
ウイダーinゼリーの入れものみたいなパウチ素材の口の部分をくわえて風船を膨らますように息を吹き込みます。
こちらも
「はい、息をすってー。少しとめましょう。1、2 、3。はいてくださーい」
と指示を下さいました。

痛くも痒くもない検査なので、笑顔で終了です。


普段訪れない(というか初めて来た)胃腸科の病院でした。


折角来たというので、先生が市の補助が出る癌検診に切り替えて下さり、同時に超音波診断でほぼ全ての内臓の状態も見て下さいました。
こちらは、(超音波で見た限り)どこにも異常は無いようです。

当日診断が出て、すぐに薬を飲み始めるのかとおもいきや、呼気検査に加えて、市の検診だと後2人の医師の所見も入るので結果は三週間後ということ。

午後13時までかかった検査でした。
ピロリがいようと、いなかろうと、胃カメラ検査を終えた私の足取りは軽くなりました。(あとは薬飲むだけでしょう?)


ピロリ菌がいるということは、幼児期(免疫力の弱い幼児期にしか感染しないそうです)に
 泥んこ遊びの後に手を洗わずにおやつを食べていたんだろうか?
となんだか自分がひどく不衛生な子供だったのかと恥ずかしかったのですが、少し年上の友人(素敵なマダム)
も、いつもお世話になってる美容師さんも既にピロリ菌の除去治療を受けたとの話を伺い、ほっとしました♨️
私だけじゃなかったんだー😂

マダムは
「アタシは麻酔の注射で眠ってる間に胃カメラ検査を受けたから、楽勝だったわよ✨」と言ってました。

その手があったのか…。

検査結果と投薬待ちのしーどらでした。

 

🍂   🍂

 

追記:今日仕事帰りに検査結果を聞きに行きましたら、やはりいました、ピロリちゃん😂

薬を飲み始めるのは、自分の都合で良いとのこと…。

手帳とにらめっこをしてから日程を決めて、早々に薬を飲み始めるつもりです!

強い抗生物質を一週間服用します。

頑張るぞー💪

 

 

 

 

今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)