あさお日記

常日頃感じていること、好きなものや出来事を心に浮かぶままに綴っていきたいです(メインブログ)

父方の祖母のこと

こんにちは、しーどらです。

1月15日は亡くなった父方の祖母の誕生日でした。
子供の頃、成人の日はおばあちゃん宛に誕生祝いの手紙を書く日でしたので、忘れないでいます。

(近所の公園で  1/17)


祖母は1910年(明治43年)生まれで、2019年の夏に109歳で亡くなりました。

九州は宮崎の片田舎に生まれ育ち、祖父の仕事の関係で何年間かを下関で暮らした以外はほぼ100年を同じ街で過ごしたことになります。
100年同じ街に暮らすって…私には想像できません。

祖母は女学校を出ると、結婚するまで幼稚園の先生をしていました。
女学校時代は軟式テニス部だったと言ってました。
大正時代の終わり~昭和の始め頃?にテニス部あったんだー🎾


戦後は勤務先の満州から生きて戻ったものの、日本での復職が叶わなかった祖父の代わりに働いて家計を支え、大変苦労もしたようです。孫には一切語りませんでしたが。

私が物心ついた時は、梅酒や梅干作りが好きな元気なおばーちゃんでした。
花を育てるのも好きで、暖かい九州の庭には
ブーゲンビリアや風船葛などの花が咲いていました。
今、庭の手入れが好きなのはもしかしたら祖母の影響があるのかもしれません。

読書家でもありました。
今ではアマゾンが何でもすぐに持って来てくれますが、祖母は新聞書評で気にいった本を見つけると、近所の本屋さんに注文して、届くのを楽しみにしていたようです。
(夏休みに祖母の本棚を見てはこんな本読んでるんだな、と思ったものです。結構ミーハーな本も並んでいたので、ストライクゾーンが広かったみたいw)

祖父に代わって家計を支えたくらいですから、負けん気が強く祖父としばしば激しい口論もしていたようです。
どんぶり勘定で散財大好き、買ったものはどんどん親戚の人達にあげていたとか。貰った方は果たして嬉しかったのかが気になります😅
母も帯やら着物をわけて貰ったけれど、着ているのを見たことはありません。(そもそもうちの母は着物に全く興味がないのですよw)


80歳を過ぎると、耳が遠くなり(長命の人あるある)
電話でのやり取りでは、一方的に自分の喋りたいことを言っては、「しーどらちゃん、子供を大切に育てなさいよ~」とガチャンと一方的に切られることがままありました。

祖父が亡くなった後は95歳位まで、自宅で自炊をしたり、お弁当を持ってきてもらったりと悠々自適に暮らし、その後いよいよ一人暮らしが厳しくなってから亡くなるまでは施設におりました。
(父を含めて兄弟3人が大学入学時に上京して関東に住み、祖母はこちらに来る気もなかったようです)

施設長が、自分の勤務していた幼稚園の教え子だったと鼻の穴を膨らませて話していたようです。

晩年は、
「自分の知ってる人がどんどん亡くなってしまって寂しい、どこに行っても自分が一番年上…」とよく私宛にも手紙を書いてきました。
この手紙が旧仮名遣いで
~でしょう

~でせう
と書いてあったのも時代を感じます。
100歳を過ぎると車椅子になりましたが全くボケなかったのである意味大変な我が儘なお婆さん、お世話をして下さった方々は大変だっただろうなぁと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

亡くなる前日の夜にも大好きなお寿司を美味しく食べたそうです。

息子1、2は小学生の時に会ったきりのひいおばあちゃんでしたが
「生きる日本史」と言っておりましたw

2019年、父が亡くなった半年後に息子の後を追うようにして祖母も亡くなりました。
明治、大正、昭和、平成、そして父は知ることのなかった令和という年号まで生きた祖母でした。

 

今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)