こんにちは、しーどらです。
短い秋があっという間に過ぎて季節は冬ですね📚️
冬という割には暖かい。
夜の時間が長くなり、読書にはうってつけです。
毎年、毎年新進気鋭の作家さんが数多く輩出されます。
書店では、お手製のカードにキャッチーな言葉が書かれ、書店員さんのお勧め本として目立つように並べてられています。
そんな華やかさとは無縁な読書をw楽しんでいます。今回は、幸田文さんです。
最初に川上弘美 選
「 精選女性随筆集 幸田文」
という本を図書館でたまたま手に取って読んだところ、単純に面白かったのです。
手元にも置いておきたくなりアマゾンでポチっとして、今は本棚に並んでいます。
解説では川上さんが幸田さんのことを「ぶっ飛んだかっこよさ」と書いていますが正にその通りでした。
文学界の重鎮幸田露伴の娘。
父親にしっかりしつけられた人、
家事を完璧にこなし、その上さらっと書いた文章も一級品…
言うなれば優等生が奥様、おばさま、お婆様になっていった…
近寄りがたい人、というのが本を読む前の第一印象でした。
実際に文章を読んでみると
確かに頭の良い、切れ者のおばさまではあるがお堅いだけの優等生ではありませんでした。
早くに生母をなくし、気の合わない継母との暮らし。
裕福ではあるが父親程の教養は持ち合わせていなかったであろう夫との結婚、離婚。
離婚後は再び父の元に戻り、最期を見送る。その間に日本は戦争に負ける。
父亡き後、何の因果か芸者の置屋で女中として働き、その経験を書いた本が文学賞を取る。
🏅
彼女が書いた文章の中にこんなものがありました。
明日死ぬかもしれないという戦時下に、「軍需工場の中では防空壕遊びと揶揄される早熟な恋愛と肉体が渦巻いていた…」
この文章を含むエッセイを読んだ時には、ええかっこしぃをしない何もかもわかった大人の女の人なんだな、と妙に納得しました。
戦時中は大変だった、苦しかったという文はよく読みますが、そんな中でも若者は恋をしたり当たり前のように暮らしていたわけで、切り離された過去というよりも現在に繋がっている生活を感じました。
一方でユーモラスなんだけど、そんな落ち?という話。
金魚売りから金魚を買ったものの、おまけのように小さくてすぐに弱ってきた。
助けるために水を入れ替えたり、(人間のための)仁丹を与えてどうにか蘇生させる。←人間が食べる仁丹が効くというのも謎ですw
そのかいあって再び元気に泳ぎだした様子を見て安堵したところを野良猫が襲い、金魚はあっけなく命を落としてしまう。(折角元気になったというのに!)
その情景描写が幸田女史の手にかかるとアニメーションのようにはっきりと目に浮かびました。
彼女の文章からは生き生きとした、エネルギーを感じます。
幸田文さんの本をもっと読みたくて、最近選んだのがこの本です。
🍁 🍁 🍁
幸田文 「老いの身じたく」
老い、誰にでもやって来る当たり前のことですが人間誰でも若く見られたいじゃないですか。
実年齢を知らない人に、あらそんな年には見えないわ、若いわねと言われるとたとえそれが社交辞令とわかっていても嬉しくなるものです。
ところが幸田さんは違いました。
40代半ばから自身の老いを自覚してらっしゃる。
50代前半で「もう私のような年寄りには」みたいな事を仰っていて、いやいくらなんでも気が早くないですか?と言いたくなりました。
50代でお孫さんも生まれているので、名実ともにおばあちゃんを自覚されたのでしょうかね。
孫の事を書かれている文章はその辺りにいる孫溺愛のおばあちゃんとなんらかわらない姿で好感が持てます。
鏡は親友、いや畏友で自分の一番知りたくない部分をはっきり教えてくれるありがたい存在だとも、ウンウンと頷く私。一方で無理に若作りをしないことが一番若くいられるコツみたいな事も書いておられました。
φ(・ω・*)フムフム...
年を重ねるに従って荷物をどんどん減らし、飛んでいってはまずいけれど飛んでいきそうなくらい軽い住まいに暮らしたい-というような文章を目にした時はその頃(1970年代あたりか?)にはまだ浸透していない筈の「断捨離」をさきがけて実践してらしたんだなぁ、さすが!と思わずにはいられませんでした。
今なら「ハルメク」で絶賛連載中の記事になりそうな内容です。
はらの据わった明るいさばさばした女性の文章でした。
昔の日本の女性って、男の人の3歩後ろを歩いて、地味で、ウエットでっていうイメージが先行しています。
しかし、幸田文さん、先日読んだ精神科医の中村恒子先生、後日紹介したい女優の高峰秀子さんらが書き残した上等な文章を読んでいると、
芯が強くてあっけらかんとした人も実際には多かったんではないかと感じています。
そして、そういう人達にどんどん惹かれていく自分に気がつきます。
今日もおつきあい頂きありがとうございます(*^.^*)