こんにちは、しーどらです。
いつも楽しく拝読しているえりんぎさん(id:erieringi)が、ルーブル美術館についてのブログを書かれていました。
写真は元より漫画の完成度も高くて、ルーブルの雰囲気が素敵に再現されており、今回も楽しく読ませて頂きました。
ルーブル美術館と言えば、モナリザが有名ですよね。
私がルーブルで ゆっくりとモナリザを見たのは学生時代に一度、社会人になってからもう一度です。
ルーブルの広さ。そして名画の数々がゆとりを持ってこれでもかという具合に展示されている様子にフランスの圧倒的な余裕を感じた覚えがありますが、どちらもはるか昔、30年以上前の事になってしまいました。
あえてゆっくりと書いたのは、遡ること50年前に上野でもモナリザを見たのですが、ルーブルとは大違いでわんさか人に囲まれながら、大忙しで見た記憶があるためです。
えりんぎさんとのコメントのやり取りで、私が小学生の頃、上野にモナリザを見に行ったけれど、行列1時間、見るのは30秒だったとお伝えしました。
文章を書いているうちに、とにかく押し合いへし合い、絵の前を通りすぎるだけで、モナリザの正面には30秒もいられなかった風景を思い出しました😅
あの頃は予約制や人数制限がなかったように思うのですが、記憶違いでしょうか…。
えりんぎさんは同じ上野でパンダの列に並んだことを教えてくれました。
これをきっかけに、私の脳内に「モナリザ?パンダ?」という言葉が同時に浮かびました。
あーもしかしたら私、同じ日にモナリザとパンダを見たかも知れないと昔の作文ファイルを引っ張り出しました。
小学4年生の時にズバリ「モナリザとパンダ」という作文を書いておりました。
先日実家から持ち帰った懐かしい品々の中に母がとっておいてくれた私の作文がありました。それを最近パラパラと捲ったばかりだったので、すぐ思い出したんですね。
ウチの母もなかなかパワフルな人だったようで、4年生の私と2年生の妹を連れて1日でモナリザとパンダの両方を見学したんですよ。
パンダは日中友好のために中国からやって来た、初代ランランとカンカンでした。
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(1974年)4月30日火よう くもり時々はれ
4年3組 しーどら
わたしは、4月30日に開校記ねん日で、学校がお休みの日に、モナリザとパンダを上野に見に行きました…
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小学4年生になってすぐの作文なので、表現が幼いし、必要以上に読点が多いですねw
ですが作文を読むと、こういう風に展示されていたんだなという様子がわかりました。
・モナリザにたどり着くまで、レオナルド・ダ・ビンチの他の作品を展示して導入部としていたらしい
(今でも同じようにメインの絵にたどり着くまで、小品が延々と展示されていますね)
・目、口などが部分的に拡大撮影されて展示してあった
・絵をレントゲンで撮った様子も展示されていた
4年生のしーどらは絵を書くと書いています。まだ、描くという字を知らなかったようだ。
続いてパンダです。
こちらもパンダ舎に着くまで、いつもと同じ鶴、猿、カンガルーなどを見て周るものの、なかなかパンダは見つからずにいる様子です。
レッサーパンダを先に見たとか、黒ヒョウは気味が悪い、(ようやくたどり着いた)パンダは笹を食べていた等と書き記しています。
この頃既にレッサーパンダも上野動物園にいたのね!
ここから話を膨らましていくかと思いきや、
「私もパンダをかってみたいです」
と面倒になって唐突にやっつけ仕事で終わらせるあたり
今の私のブログと通じる処もあって苦笑してしまいました。
進歩してないじゃないですか、私!
やはり、10歳レベルで止まっていましたか…。
作文を書くという作業は、出来事を一旦頭の中で整理してからアウトプットするので、経験した事が記憶として残りやすいのかもしれませんね。
ブログを書き出してからの旅行や外出の内容は確かにしっかりと定着していて、夫からの質問にも即座に答えている自分がいます。
国語の時間には幾度となく作文を書いて来ましたよね。
内容はともかく、作文を書くのは好きな時間でした。
ここ、はてなに集う皆さんも書くことが好き、記録を残すことが好きな方々が集っているようにお見受けします。
50年前の作文があの日の記憶を呼び覚ますように、日々はてなに記録している文章が将来の紅茶に浸したマドレーヌになるかもしれないと思うと、やっつけ仕事は卒業したら?と思う反面、(言葉は汚いですが)思考をそのまま垂れ流すというのも背伸びをしない等身大の私の味なのかも、と感じています。
今日もおつきあい頂き、ありがとうございます(*^^*)