あさお日記

常日頃感じていること、好きなものや出来事を心に浮かぶままに綴っていきたいです(メインブログ)

最後に愛は勝つ?~近江紀行

こんにちは、しーどらです。

近江路、今回は歴史に絡めて書いていきます。

今度の旅で初めて浅井(長政)歴史民俗資料館、西教寺を訪れました。

浅井歴史資料室は長浜市にあります。
浅井長政滋賀県の北半分を治めていた大名です。奥方はお市の方織田信長の妹です。茶々、初、江の三人姉妹の母でもあります。
ドラマでも何度となく描かれているので、皆さんもよくご存知ですよね。

(茶々は浅井長政の娘ではなく、お市の方の最初の結婚の時の連れ子だった可能性もあったとのこと。長政との子供は次女の初が最初の子供だったので、初という名前なのではないか、という説があることを私は今回初めて知りました。長政も再婚で、離縁した前妻との間に男子もいたようです…こちらも知りませんでした)

長政と市はとても仲が良かったそうです。
長政が織田信長との戦いに敗れて自害する時にお市の方も一緒に自害するつもりだったところを「生きて弔ってくれ」との夫の言葉にとどまったという言い伝えがあるそうです。

浅井氏が治めていた辺りに小さな資料館があったのですが、どこまでも続く水田と琵琶湖に通じる小川、緑豊かな心安らぐ場所でした。

*資料館とは少し離れた場所ですが、このような雰囲気の場所でした

 

 

長政は家族に優しかっただけではなく、家臣達にも良い城主だったようです。
資料として残っている長政の手紙には、戦いに敗れつつある時でさえ、家臣達への感謝の言葉が丁寧に綴られていました。

負け戦の大将の手紙には価値などなく、捨て去られるべきものなのに、子孫達にも大切に受け継がれて今に残っているというのは、それだけ家臣が城主のことを大切に思っていた証だとの説明書きがありました。

 

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本能寺の変は日本史の中でも誰もが知る歴史的な出来事のひとつです。

明智光秀は信長の命で比叡山を焼き討ちし、その功績で坂本城を与えられました。

宣教師ルイス・フロイスが残した記録には「坂本城安土城に次ぐ豪壮華麗な水城」とあるように風光明媚な琵琶湖畔にあった城はさぞ美しかったことでしょう…

 


西教寺明智光秀明智一族がまつられている天台宗のお寺です。(光秀が生きている時代から檀家として支えていたそうです)


琵琶湖をはさんで浅井長政の領地とは反対側、延暦寺の麓よりにありました。この寺は聖徳太子が起こしたとも言われているらしいのですが定かではないようです。

広い境内の中には宿坊がいくつもあり、修行の場所としての凛とした佇まいを感じました。

 


その一方で、明智光秀が何故織田信長に反旗を翻したのか、光秀がどんな人であったのかを少しでも知りたいという思いからお寺を訪れる(私達のようなw)観光客も多いようです。

西教寺明智家の菩提寺です。

 

今日は、寺の中にある明智光秀資料室に展示されていた内容をお伝えします。

明智光秀は最近では「麒麟が来る」という大河ドラマの主人公

として描かれました。
今までの逆臣とは違う演出でしたね!

 

明智光秀の一生ははっきりしていないことが多く、謎に包まれているそうですが、奥方熙子とは仲が良く、熙子が亡くなるまで側室を持たなかったと言われています。
2人の間には子供が6~7名いたようです。
その当時妻が先に亡くなった時には武士は葬儀には出ないことが多かったそうですが、光秀は葬儀にも出席し、この西教寺に妻を手厚く葬ったという記録が残っています。妻への深い愛情が感じられました。

境内には明智一族と熙子の墓があったので、お参りもしました。

光秀もここに眠っているようです。

(熙子の墓石はわかるように今も残っていますが、光秀本人はここにまつられているらしい、との推測だそうです)

 


今回、浅井長政明智光秀の足跡を足早に辿ったわけですが…

 

戦国時代にあって、家族思いだった、側室を持たなかったということがイコール愛情深く良い城主であったというほど単純な事でもないような気もしますが、少なくとも何百人単位の側室を持った人や、残虐非道を重ねたと言い伝えられている人よりは、妻、母である私には好感が持てました。

 

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強者(狂者とも思える)の前には愛情深き(家族思いの)侍は全く勝つ術が無かったのか…と思いきや

 

 

長政の娘お江の方の血をひく完子の血脈が今の天皇家に繋がっている事を知りました。

また、明智光秀の娘、細川ガラシャは名前の通り細川家に嫁ぎその血脈は総理大臣経験者の細川護熙さんに確実に受け継がれているそうです。

 

織田家、豊臣家の血脈は断たれ、名前を名乗っている人達は養子で家を継いでいるとのことでした。

(諸説あるかと思いますので間違っていたらお詫びします)

 

長政や光秀の時代には織田信長豊臣秀吉に勝つことは出来ず非業の死をとげたわけですが、その血脈が今なお確実に繋がっていることを考えると

なーんだ

やっぱり最後に愛は勝つんだ

と嬉しかったのです☺️

 

 

 

おまけ

浅井長政

絶世の美女とうたわれたお市の方のご主人なので勝手にイケメンを想像してたのですが、肖像画は優しそうな結構なぽっちゃりさんでした😆

二重あごなのよ~(しかも30歳の前よ)

 

 

 

 

また、最後に登場させちゃうよ😃

バイバーイ光秀バージョンだよ!

 

 

今日もおつきあい頂きありがとうございます(*^^*)